

マラケシュには3日ばかり滞在した。協力隊員の巣のようなところでお世話になった。
この町の風景を写真に撮っていたつもりだったが、キャイーン。ネガが巻き取れていなかったが後の祭りである。この町に関しての写真はマラケシュのパンフレットからのものでご勘弁ください。
ついた当夜、王宮跡で開かれる、フォルクローレという郷土芸能祭りに行った。様々な民族衣装を身にまとった人々が舞台の上で音楽に合わせて踊ったり唄ったりしていた。
まあ、既成の民族ショーという感じで、一種の空々しさを感じたが、異文化のそれに接することはそれなりに興味深いことではあったが、それよりプールの上に作られた仮設桟敷は、夜がふけるとともに寒くなり、大陸的気候の温暖の差の激しさを痛感した。最後に何回か一斉に銃をぶっ放した音には寒さも吹き飛んだ。
マラケシュにはモスクをのぞいて高い建物は無かった。聞けば町の景観を守りためにそのような建物の建設は認められないと言うことであった。
モロッコになれた頃、帰国の途中で、またここに寄ったことがあったが、そのころは私もかなり図太くなり、買い物も上手になり、土産物は値切り倒していた。

値切るこつは、向こうの言い値の10分の1から始める。言い値で買うのはお人好し。たいてい向こうもそんな値段では売ってくれない。最初から欲しそうな顔をすると駄目で、つまらさそうな顔で、向こうがそんな値段では駄目だと言うと「あっ、そう」と言う感じで店を出る。たいてい、呼び止め、「それならいくらいくらにするよ」と言ってくる。そうなるとしめたものである。この交渉は結構面白かった。だいたい交渉の結果、最初の値段の半額から3分の1くらいになった。中にはおまけを付けてくれるところもあった。
モロッコではハイライトの似た味のローラン(上記左)という煙草を吸っていたが、結構高級品らしく田舎では手に入らない。(1箱1.5DH)ある日1カートン買ったばかりのところを水晶うりの子供が煙草をねだってきた。箱を持っているから無いともいえず、1本子供に与え、変わりに私も何かくれと、手を差し出した。子供は一瞬驚いた様だが、肩から吊したかごの中から一番汚いと思われる、水晶を私にくれた。今考えると悪いことをしたようだ。
ちなみに1969年のモロッコの平均国民年間総所得は Tom Stacey 社の 「The Book of the World 」によれば186ドル、当時のレート1ドル270円にしても、50220円、月に直せば平均月収4200円ほど。貧しさはかなりのものである。
「ローラン」にしても「リャド」にしても、大都会以外では手に入らなかった。
翌日は市内見物をした。中でも面白かったのは、市の中央にある、「ジャンマー・アル・フナ」と言う広場に行った。死の広場という意味らしいが現地の日本人は「きちがい広場」と言っていた。(一部不適切な表現のあることをお断りします)
とにかく、雑踏と騒音、異臭の漂う広場では、大道芸人、物売りなどが至るところで何かをしている。数分もいれば頭がおかしくなるようなところだった。喧噪に包まれていると、自分がどこにいるのか判らなくなる。

路地を入り、メジナともカスバともつかない狭い道に商店がずらりと並んでいる。東洋人と見ると、子供達が「チノワ、チノワ」と言って近づいてくる。
買い物も済ませ、広場近くのちょっとした高級ホテルの屋上で、モロッコでは一般的に飲まれているペパーミントティーを飲みながら、広場を眺めた。

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